コラム「大人が学ぶ時代の到来『私たち大人が出来ることを考える』」|幼児教室探しの『幼児教室どっとこむ』

−大人が学ぶ時代の到来 「私たち大人が出来ることを考える」−

●子どもたちにとって何が必要なのか?−大人の背中を見て子どもは、成長、進化する−
私たち大人が子どもたちにできることって何なのでしょうか?様々な知識を教えるということも大切なことです。
しかし、私たち大人はいま一番大切なことを忘れているような気がします。
それは、自分自身を磨く=学ぶということです。ここでいう磨くとは「心」と「頭」です。子どもが挨拶をしない、本を読まないと嘆いていますがそれは当然のことです。多くの大人たちは挨拶をしません。本を読んでいません。模範となるべき大人がこれではどうしようもありません。
まず、はじめるべきことは大人が学んでいる姿を子どもたちに見せることからはじまるのではないでしょうか?

●「知」の再構築
(1)本を読むことからはじまる学び
学ぶ姿を見せるといっても、何を子どもたちにと思われる方々も多いと思います。何かと真剣に取り組んでいる姿を見せるというのもひとつだと思いますが、本を読んでいる姿というのもそのひとつではないでしょうか。
私たち大人の多くは様々な実体験、経験を通して自分の「知」を構築してきたため、意外と本を読んで考えることをしなかったのではないでしょうか。そのため、表現する言葉が少ないといえます。
また、本を読んだとしてもそれを文章化し表現しようとしなかったために、せっかく読んで学んだはずのものが単に知識の断片としてしかのこらなかったのです。学びにとって大切なのは、本で読み学んだことを切り売りして表現することではなく、自分の中にいったん取り入れ、自分の言葉で表現できるかということです。
話を戻しますが、本を読んでいる姿を子どもが見ることによって、子どもは何を一体読んでいるのか、どんなことがそこに書かれているのかということに興味をもちます。そして、「お母さん、何を読んでいるの?」って聞くはずです。その時点から子どもの学びがはじまるのです。

(2)表現することからはじまる学び
表現するということは、自分を磨くうえで欠かせない学びのひとつです。ただし、ここでの表現とは「知的な表現」です。
子どもたちもそうですが、私たち大人の表現の多くは「書き言葉ではなく」「話し言葉」です。書き言葉というのは、その名の通り文章化された言葉です。つまり、聞くものが理解できる言葉です。一方、「話し言葉」は私たちが日常使っている言葉です。話し言葉は、その場その場に適用した言葉であるため、いっいったんその場からはなれると他では通用しません。例えば「それとって」「あれとって」などなど。
当然、ここでいう「知的な表現」は前者の書き言葉です。書き言葉での表現は、書くときだけではなく、話すときにも使われます。例えば会議とか発表などは参加者の誰もが理解できるものでなければなりません。相手の話を聞き、そのことに対して「こういうことをいいたいのではないか」ということを代わりに表現してあげることも書き言葉ならではの表現方法です。

私たち大人は自らの学ぶ姿勢を子どもたちに見せ、子どもたちが見よう見まねでその学び方を修得していくようにすることがいちばん大事なのではないでしょうか。

有限会社学林舎
響 優也さん

ご意見、ご感想をinfo@youkyou.comまでお寄せ下さい。※必ずどの先生宛かを明記して下さい!

pagetop