コラム「人を傷つけない人間にするにはF」|幼児教室探しの『幼児教室どっとこむ』

−人を傷つけない人間にするには F−

ADHDやLDの子どもたちが生まれてくる割合は何十年も前から一緒だと、以前申し上げました。
ところが、いわゆる行動に現れる障害の子ども達の割合は飛躍的に増えています。発達障害の場合、健常児と見分けもつかないほど軽度の子どももおります。自閉症児のように、時に顕著な行動を示す例もあります。
でも、そのような子どもたちを、障害児だと分かった時点で特別な子だと見てよいのでしょうか。
違った言い方をすると、普通の子どもではないとレッテルを貼ってよいのでしょうか。

実年齢より劣っている、あるいは他の子どもたちと同じようには理解してくれない、他動で自分のしたいことに固執するかもしれません。でも、心を持った人間の子どもなのです。コミュニケーションをとるという意味で特別扱いする必要はまったくないのです。
ところが、良くも悪くも障害を持っているということで、育てばよいという接し方をする親もいると聞きます。これは親子双方にとって悲しいことです。ある意味、偏見だと私は思います。

毎週月曜に幼稚園に行っておりますが、素晴らしいお母様がいました。そのお子さんは未就園クラスのダウン症です。身の回りをことを自分の力でできるようにと頑張っていました。その脇で、健常児の子どもの母親が、何も言わずに当たり前のように我が子の靴をはかせてあげていたのです。先生のお話によると、「お母さんはこの子を赤ちゃんのように扱っている。だから、母親の前ではとても甘えん坊なのだ」ということでした。
親のいないところでは、絵も上手に描けるし、説明もしっかりできていました。この例は、他己意識そのものです。子どもは自己分析できないので、他人が自分をどうみているかを捉え、そのイメージをそのまま自分のイメージにしてしまうのです。

これらは、思い込みや偏見によって子どもをみているという意味では、どちらも同じです。これらの例ほどではないまでも、こういう子と決め付けて接する例は世の中に多いのではないでしょうか。子どもは心の中で『そうじゃない!』と叫んでいても、そのうちあきらめてしまうのは容易に想像がつきます。
そして、そのように育った子どもは、自分のことを理解してもらえない辛さを心の中にしまいこんでしまいます。そして、他人に自分を分かってもらう方法を知らずに自分を表現する努力もしない子になってしまうのではないでしょうか。
テレビなどで、真剣に叱ってもらった時に心から涙を流し感謝する場面を目にしますが、叱る側に、「あなた(きみ)のことをあきらめたくない!人間として、そのままでいいの?」という気持ちを持ち、根本的な部分で子どもと向き合っているからなのではないかと、私は思います。

口先だけのほめ言葉や注意は、子どもに通用しません。子どもは本能的に見分ける目を持っているからです。
どうぞ、今現在どのようなお子さんであっても、向き合ってあげてください。
そして、分かり合おうとする努力だけは忘れないことが、大切だと思います。

母と子のオムニパーク(潤心会)
福岡 潤子先生

 → 「人を傷つけない人間にするには @」はここをクリック
 → 「人を傷つけない人間にするには A」はここをクリック
 → 「人を傷つけない人間にするには B」はここをクリック
 → 「人を傷つけない人間にするには C」はここをクリック
 → 「人を傷つけない人間にするには D」はここをクリック
 → 「人を傷つけない人間にするには E」はここをクリック

ご意見、ご感想をinfo@youkyou.comまでお寄せ下さい。※必ずどの先生宛かを明記して下さい!

pagetop